■ 12・11 島根原発再稼働住民投票条例要請署名活動 於:松江テルサ前(JR松江駅前)
◆12月11日(土)は松江駅前で、午後から島根原発の再稼働についての「住民投票を行って欲しい!」との署名行動に参加しました。住民投票条例をつくり、松江市民の声を反映させよとの呼びかけです。駅前だけに、今回はたくさんの賛同署名が集まりました。多くの署名が集まれば、松江市長さんも松江市議会でも、再稼働を住民声を聴かずにOKは出来なくなると思います。どうかこの署名行動にご参加ください。12月26日まで松江市の各地域でもこの活動を行っていますので、見かけたらよろしくお願いします。自分たちの町は自分たちの意思で運営しよう!お任せにはできない島根原発の再稼働問題です。
◆11月28日(日)は「どうする島根原発?みんなで決める松江の会」キックオフ集会が開かれ、参加しました。元湖西市長の三上 元(みかみはじめ)さんの講演があり、憲法95条によると住民の投票において過半数の同意を得なければ、地方公共団体のみに適用される特別法は制定されないことが謳われており、住民投票の意義が保障されているとのこと。そして、今、問題となっている原発の稼働・再稼働のような重要な議題は、世界各国でもオーストリア、イタリアなど国民投票でその是非が問われ、その結果稼働しないことを選択したという例などがあるということや住民投票で自分たちの地域や地方の自治(住民にとって大切なことは住民みんなで決めよう!)を行うことが大事などと話されました。
講演の後、島根原発の再稼働に向けて市民の動向を問い、市民の意思を的確に反映させるための松江市住民投票条例制定の請求に向けての署名をしよう!との提案があり、参加者一同大きな拍手で賛同しました。この署名は12月26日(日)までの約1か月の期間行われる予定です。ぜひみんなで投票条例をつくり、島根原発の再稼働について自ら判断し、自分たちの未来や子や孫の世代についても安心できる町、そして、みんなに楽しく訪れてもらえる国際観光都市松江にしたいと思いました。
■ 11・28 どうする島根原発?住民投票しよう!キック・オフ集会 於:松江福祉センター大ホール
■ 11・3 第4回大社基地講座 於:出西環境学習センター
◆2021年11月3日(水・祝)は、第4回大社基地講座が斐川環境学習センターで開かれ、参加しました。今回は@「国指定史跡の意味」松本岩雄氏(島根考古学会 会長)A「大社基地遺跡群の文化財としての価値」若槻真治氏(戦後史会議・松江 世話人代表)+B座談会「大社基地遺跡群のこれから」という今までの問題点の整理と今後の課題としての考え方のお話がありました。出雲市の対応(文化財としての価値があるともないとも判断せず)や島根県の対応(史跡指定などは前例がないので却下…県だけに、けんもほろろの返答…)について、座談会では国の指定遺跡の登録をめざすことや文化財としての価値の重要性を訴えることなどみんなで盛り上げようとみなさんの意見がまとまりました。
◆2021年9月9日(木)「いのちと暮らし優先の政治へ!9・9しまね総がかり緊急集会」が松江テルサ前広場で開かれ、ぴぃすうぉ〜く松江も参加しました。集会は約70名の参加者があり、野党+市民の共闘がテーマで各市民団体や野党(共産党、立憲民主党、社民党、国民民主党)から、県内最大の戦争遺産「大社基地」の保存問題やアフガン情勢はどうなっているのかの報告。コロナ禍で庶民のいのちと暮らし、そして福祉や医療…などがないがしろにされている現状についてのお話や、また、平和憲法や基本的人権、民主主義に背を向ける自民党を一刻も早く退陣させるため、野党と市民の共闘でたたかいましょうなどと挨拶がありました。迷走、混乱の政治はもうごめんだ!
◆2021年8月29日(日)は「原発事故!その時、あなたはどうやって避難する?」と題しての講演会(講師:芦原やすえ氏)を聞きました。講演の後、島根原発立地の島根県松江市では、約46万人もの人たちが原発事故の際には避難することが策定されているのですが、どのように逃げるのかを参加者が一人一人考えるワークショップを行い、松江市の避難計画が本当に避難できる計画なのか!検証しました。それぞれが活発な意見を述べる中…この計画が本当に出来るか?という多くの疑問点が浮かび上がりました。皆さんも一度、自分はどう避難できるのかを検証してみてください。
◆2月14日(日)に行われた戦後史会議・松江(世話人代表:若槻真治)主催の「大社基地・現地見学会&研修会」に参加しました。県内外から多くの方が参加され、島根県最大の戦争遺跡といわれる基地遺跡について学びました。この基地の特徴は爆撃機「銀河」(50機)の主要配備基地で、滑走路は1,500m×60m(主)と600m×30m(応急)の2つがあり、周辺には、数キロの範囲に、魚雷庫、爆弾庫、掩体壕など多くの主要施設が今なお、竹やぶに覆われたり、土砂崩れで埋まっていたりしながらも、残っていました。見学後、昭和9年に建てられ、この飛行場を作る部隊の本部、宿舎などに使われたという元国民学校、戦後は出西小学校の校舎で研究者のみなさんのお話を聞き、こうした戦争遺跡をキチンと保存し、戦争を知らない世代へ、戦争の怖さや平和の貴さを伝えていくことが大切だと改めて感じることが出来ました。※『島根の戦争遺跡』ガイドブックA4版141Pを戦後史会議・松江から発行、HPもあります。